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作り手の身になって作品を読む~古事記からカバジンまで~



キキマンの会に参加しました。

古事キ
日本書キ
マン葉集

これらの古典を
韓国語や中国語の音、
易の思想にも世界を広げて読み解いた
ヒッポの書籍を読み、
アレコレおしゃべりする会です。


ヒッポのミニカレッジ、
Transnational college of LEX
通称トラカレの研究によって
導かれた無理のない(?)仮説によれば
古事記は、
当時の文化人にとって常識だった
「易の思想」に基づいて書かれている
のだそうです。

だから例えば
タケミカヅチの神が
剣の上にあぐらをかいて登場すれば、
ああ、あの卦のことが言いたいんだなと
当時の読者はピンと来ていたはずだと。

後世まで残るようにと
魅力的なストーリー展開にしつつ
当時の為政者にとって
とても大切だった易の思想を
その中に盛り込んだと。

後世の誰かが、
きっとこのメッセージに
気づいてくれることを
信じながら。

どういうお話にするかを決める時には
きっとたくさんの知識人が
わいわい言いながら
アイデアを出しあったことだろう。


そんなイメージを持ちながら
古事記の声に耳を傾けると
味わい方が全然違ってきます。

作品の外側から文字を追うのではなく
作品の内側から作者たちの思いに耳を傾ける。

もちろん
稗田阿礼をはじめとする作者は
みんなもうこの世にはいないから
本当のところどうだったのかは
謎のままだけど、
可能性が全くゼロではないこの仮説、
もし本当にそうだったら凄すぎる!


話は変わって、
ヒッポのオリジナルストーリーに
カバジンシリーズというのが
あります。



他のストーリーが、
1ヶ月のホームステイのことだったり
留学経験があるヒッポメンバーの
ことだったりするのに対し、

カバジンシリーズは
カバの男の子カバジンが
自分探しの旅に出たり、
夜はどこへ行ったのかを
解明しようと奮闘したり、

現実離れしていて
なんだかちょっと哲学的。


カバジンシリーズの
4つの物語は
どういうプロセスを経て
できあがったのかしら?
そこに込められた思いとは?

古事記を内側から読み解くように
カバジンシリーズを眺めてみるのも
面白いかも⁉️
と思い、
キキマンの会で
みんなに投げかけてみました。

みんなのリアクションは、
今もヒッポを楽しんでいる
作者の名前が挙がり、

「そんなに深いことは
考えずに作ったと思うよ」
と、その時を知っている人から
あっけなく種明かしがありました。


それならば、
思いつきとは言わないけれど
そんなに深い考えなく作られた
カバの男の子の物語に、
深い意味づけができてしまうのは
なぜだろう?

これは、
作者の内側ではなく
読者の内側の問題?

作者の無意識のなせる技?

作者の無意識と言えば、
ヒッポのシニアフェロウ
名古屋外国語大学学長の
亀山郁夫先生が
『新カラマーゾフの兄弟』を
執筆していらした時、
こんなことを
おっしゃっていました。

あの時自分がこんなことを書いたのは、
後々のここに繋がっていたのかと
書き終えた後に振り返ってみて
分かることがあった。

最初から
ストーリー全体を
完璧に確定させて
筆を進めた訳ではない。


そんな感じ~~???

私のこのブログに、
読んでくれる皆さんは、
私のどんな内側を
感じてくれているのかな?
それは、
私自身も知らない
私の内側かもしれませんね。
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